✭荒野の風に吹かれて✭


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【前置き】毎月5のつく日(5日•15日•25日)にブログの更新をすることを自分に課してきたのでありますが、今月17日に C.D.L ( Commercial Drivers Liscence) の書き替えと Endorsement (特別許可証) の更新が同時にあるため、現在187ページもの教則本で勉強中。あまりにも時間が足りないため、『ロシアの戦勝記念日パレードを受けて』と題したロシアによるウクライナ侵攻批判をする予定を変更し、初老親父にしか分からないかもしれないただの健康に対する愚痴をぶつぶつと呟きます。ご了承下さい。ロシア侵攻についてはあらすじはもう出来上がっていますので、次回に書き上げる所存であります。乞う、ご期待のほどを。
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最近、仕事でロードトリップに出る機会が多く、泊まりがけでいく仕事が毎週一回入ってくる。他のターミナルとの連携の問題で、お互いの緊急な人手不足を補うためには致し方のないことだ。



泊まりの仕事が入った週は後半息切れになる事も多く、週末の休みを迎える前日ともなるとヘトヘトになる自分がいる。全米を泊まり渡り3〜4週間に一回自宅へ帰るパターンで仕事をしていた40代とはどうも勝手が違う。年齢から来る衰えといえばそれまでであるが、来年遂に還暦、60歳を迎えるにあたり自分の体調というかバイオリズムというか、生体の発する波長をじっくり見つめ振り返ってみることにした。


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若い頃から腰の痛みとギックリ腰に悩まされ、からだのあちこちの筋肉のバランスを取るために運動や筋トレをかかせずにいたが、30〜40代の頃には仕事の忙しさもあって徐々にサボりがちになっていった。年に数回、ギックリ腰でカイロプラクティックの先生のお世話になることもあり、腰の不具合は一生付き合わなければならないと覚悟していたもんだった。



そしてやってきた50代。



筋力の低下が進んでいくと、やはり動きに俊敏性が失われてきた。それは悪いことばかりでもなく、急な限度を超えた動作が少ないのでぎっくり腰が起きる頻度も年々少なくなっていき、50代後半では年に1回、それも毎年同じような時期にやってくるため、季節の風物詩のような情緒さえ感じるようになった。毎年カレンダーに記入しておくため、「そろそろかな」とまるで開花予想のような会話まで飛び出す始末。私の家では "ぎっくり腰" は春の季語である。


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ギックリ腰は減ったものの、1箇所が悪くなるとまた別の箇所に不具合が生じ、その連鎖反応で小規模ながら体調不良の波が次々とやってくる。やがて全ての症状が潮が引くように収まり、ふと気がつくと完璧なまでに調子がいい。しかし、50代の辛かったところはその完璧さが信じられないことだった。そのくるくると繰り返すサイクルに翻弄されるあまり、調子の良さがいつまでも続くとは信じがたいのである。



案の定、1週間もすれば再び思わぬ箇所から悲鳴を上げだし、また次から次へと連なる、さほど急峻ではない標高1500メートルくらいの山々を登っては降り、登っては降りの繰り返しに見舞われ始めるのだ。年間を通して完璧な体調だったのは1ヶ月ほどだったろうか。そのバイオリズムというか、完璧と最悪の間をいったりきたりのサイクルがあまりにも目まぐるしく、これがいわゆる中年男性にも起こる更年期障害の実情なのかと思われる。



当然、年上の愛妻はこの更年期障害の先輩であった。幸いにも世間で問題になっているほど深刻な症状がお互い現れなかったが、突然のほてりや動悸に襲われたり、気分が沈んだり、何だかイライラしたりと訳の分からない状態に加えて、様々な体調不良にも見舞われ気分は滅入ることが多かった。その分、完璧な状態がやってきたときは、20代の体に戻ったかのような錯覚に陥るほどの調子の良さである。年に数回この喜びを噛み締めることができるのだ。



そして、50代も後半に差し掛かり、サッカーの試合で言うと後半35分過ぎぐらいから、再び体調の変化を感じるようになった。厳密に言うと、あまり変化を感じなくなった自分の身体を感じるようになったということだ。目まぐるしく繰り返しやってくるあのサイクルの波が、徐々に徐々にゆっくりとした小波となっていくのがはっきりと分かるようになった。


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現在59歳の還暦前。ギックリ腰は年に一度やってくるか来ないか程度となり、時期も予測できる為やってきそうな感じの前兆痛みで処置を施すことができ、ギックリとまでいかない軽い状態でやり過ごせるようにまでその道のエキスパートになってきた。調子のいい時も結構長い間持続することができ、体調不良の波も比較的穏やかでそのサイクルが長くなった。今や、100メートル級の小高い丘をゆっくりと鼻歌交じりとまではいかないが快適に登り降りし、なだらかなハイキングコースを歩む毎日となりつつある。



やがて60歳を過ぎるとやってくるであろう筋力の衰えに伴う行動限界の締め付けにがんじがらめにならないよう、今から体力作りを徹底する所存であります。いつまでも、快適さを求めないキャンプやアウトドアアクティビティを続けられるよう、足腰を中心に毎日の運動に励もうと思う。


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なかなか、年齢を重ねていく事もまんざら悪いことばかりではなさそうである。




この道の 長きに渡り 粛々と
一生浪人を貫き通すは
我が天命なり。

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Hasta la vista. Nos vemos.

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